当たり前を祈る日記

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毒親からの逃亡記

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ついこの間まで入院していましたが無事に退院し、諸々の手続きもほぼ終わり、落ち着きつつあります。

今回の入院、実は「毒親からの避難」が1番の目的でした。


私と同じように
「病気で苦しんでいて働けない」
「実家暮らし」
「家族から病気に対する理解を得られない」
という悩みを持つ方に向けて文を書こうと思います。

私の毒親からの逃亡記です。

入院にいたったきっかけ

両親からの「うつ病」「障害者」への理解のなさ、です。

元々私のうつ病は小学生の頃の両親からの言葉の暴力に端を発しているのですが、両親にはそれを打ち明けてはいませんでした。

過去のエピソードは色々と省略しますが、入院前の私は障害者手帳を持っていて、「A型作業所に通うのも精神的にギリギリで、毎日複数の安定剤を最大量飲んでそれでも通えない日がある」ような状態でした。

通えないこと、働けないことが悔しくて泣いていると、両親に怒られました。

「そんなん普通じゃ通用しない」
「正直、障害者って無理なんだよね」
「障害者枠で働くことを目指してることに違和感」
「今の自分は自分が選んできたことの結果」
「病気だからって逃げている」
「病は気から。癌も気持ちで治る。」
「養ってやってるだけ理解を示してると思え」
等々。

それを機に一気に体調が悪化。
「両親が言っていることが正しくて、私は何も努力ができていないのか?何が正しくて何が間違っているのか?」

何もわからなくなった私は、
友人、作業所の所長、彼氏の家族、主治医
といった周囲の頼れる友人や大人に相談をしました。

・すぐに今の環境から一度離れること
・いつの日か両親と向き合い真意を伝えること

そういうようなアドバイスをたくさんいただきました。

頼れる大人が居たことはあの時の私にとってはとてもありがたいことでした。

両親を○して自分も死ぬか、通勤ラッシュを狙って線路に飛び込んで両親に多額の賠償金を払わせるのとどちらが良いのか、本気で迷っていましたから。

両親の「入院拒否」

入院するため、電車で1時間以上かかる病院へ向いました。ひとりで、本当に入院できるのか分からないまま、どれくらいの期間になるのか分からない入院生活用の準備を両脇に抱えて。

入院できるのか確定してなかったのには訳があります。

入院前の診察時に、主治医に両親からの言葉で精神的にドン底になって、作業所にも通えなくなってしまったことを説明し、穏便に済ませるため、あくまでも「薬の調整」という体で任意の入院を希望しました。
主治医も当初は賛同してくれていましたが、入院の同意を得るため両親と電話をしたところ、会話にならず。

主治医に対して恨み言を吐き続けヒステリックになる母親と、入院は遊びだと吐き捨てる父親。

両親のあまりの対応に主治医は呆れ、
「入院はやめましょう」
「ご両親がこの状態ではどこの病院も受け入れは難しいと思います」
「私も自信がありません」
と言われてしまったのです。

絶望した私は泣きながら土下座する勢いで頼み込み、
「分かりました。来週の○日に△△病院に来てください。その時病床に空きがあれば、入院しましょう。」
主治医は最後にそれだけ告げて、診察室から出ていくように指示されましました。


病院に着いて、主治医に
「ご両親に本当のことを伝えましょう」
と言われました。

私は震えながら、父に電話をかけ、
その間の会話はスピーカーにして主治医にも
聞いていてもらっていました。

・薬の調整で入院するのは嘘だったこと
・幼少期から両親の言葉がきっかけで精神が不安定になったこと
・今は実家にいるのが怖いこと、両親の声や物音すらも恐怖であること
・一旦離れて冷静になりたいこと

すべて伝えて、
結論は、

お前は自殺やら自傷やらを脅し文句にして自分の意見を押し通そうとしている!!
「ふざけるな」
「入院は許さない 帰ってこい」

でした。

話にならないと思った私はスマホの電源を落としました。

入院へ

そこからの病院の対応はスピーディーでした。

「必要であると認められる治療を受けさせない」、そのことが虐待に当たるとして行政に働きかけてくれました。

虐待という言葉にポカンとしたのを覚えています。

私のスマホは親の名義だったので、入院が分かったその日の夜に解約され、連絡手段は奪われてしまいました。苦笑

なので公衆電話を使って職場等々に入院の連絡。
「どうしてそんな強硬な……」と、作業所の所長が絶句していたのを覚えています。

生活保護の申請

病院では担当のケースワーカーさんが付き、役所とのやり取りを手伝ってくださいました。

私の預貯金が尽きるまでは自分で医療費を払い、最終的に生活保護の申請を行いました。

世帯分離をはじめ、入院しながらも自分で新しい住居を探したり、生活保護で認められる範囲での家具を注文したり、大変でしたがなんとかやり遂げることができました。

役所の方に、私の生い立ちや過去に両親から言われた言葉を伝えると、「それは完全に精神的な虐待ですね……」と言われ、私は初めて、客観的に見れば「虐待されている状況下にあった」ということに気付かされたのでした。

逃亡完了

入院から2ヶ月後、無事に退院しました。
アパートの契約も完了し、今は実家とは離れた、なんの縁もゆかりもない街で、一人暮らしをしています。

今も生活保護のお世話にはなっていますが、「後ろめたさを感じず、自立のための足掛かりにしてほしい」と言って下さった主治医や役所の方の言葉を胸に、今は療養中です。

転居した街では「支援措置」という手段を取り、住民票が簡単には閲覧できないようにしています。警察の方曰く「完璧ではない。結婚や転院等でバレてしまうこともある。」と念押しされました。

各種SNSはブロック。実家に置いてきた通帳がある口座は解約。居場所が分かるものは無いはずですが、不安ではあります。

逃亡してみて

入院中も今も、両親が夢に出てきて、その中で怒鳴られたり監視されたりして、未だに苦しんではいます。

両親から受けた傷は癒えていません。
呪いのようなものだと思います。

ですが、自分で道を切り開いたという意味で、晴れやかな気持ちはあります。

「やっと逃げ切れた」
というような感情が正直なところです。

毒親に悩む方々へ

私は周囲の大人の知恵を借りて、入院から生活保護という道を選びました。そしてその過程で、自分が虐待されているということにも気付かされました。

「『家族だから』いつか分かり合える」
という希望を、最後まで持ち続けていましたが、それは叶わないことも知りました。

家族という根の深いコミュニティから抜け出すにはとても勇気が必要でした。

ですが、自分のことを第一に考えて、自分が楽になるための一歩を踏み出してみてもいいのではないでしょうか。それは私のように物理的に「逃げる」という手段であっても、構わないのです。
自分を大切にすることはわがままでも何でもないのだと、私は思います。

補足

私は成人済みなのでこのような強硬な手段を取ることが出来ましたが、未成年の方は親の持つ「親権」が強いのでこの記事は参考にならないと思われます。

最後に

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

この記事を読んでいただけたということは、私と同じように悩んでいる方もいらっしゃるのではないかなと思います。
何か参考になれば嬉しいです。

どうか穏やかな毎日が過ごせますように。