当たり前を祈る日記

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希死念慮との戦い

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希死念慮とは

死にたいと願うこと。
[補説]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。

引用元:希死念慮(キシネンリョ)とは - コトバンク



私は、理由なく突然に「死にたい」という気持ちに駆られることがある。
天気で表現するならゲリラ豪雨


私の場合「死にたい」の強度も結構差がある。
「あーちょっと今調子悪くなってんな死にたい奴来てるな」
みたいなときもあれば
「死ななければならないので今すぐ死にます死なせてください」
みたいな最悪なときもある。


今のところ希死念慮との戦いは私が勝ち続けている。

ベランダに出て地面を眺め、ここから飛べないものかと思ったり、落ちる勇気がないから駄目なんだと、階段からわざと転げ落ち身体中にあざを作ったりしたこともあった。適当な高さに電気コードをしっかりと巻き付けて、首を吊ろうと何度も試みた。ホームに入ってくる電車の音と勢いを感じながら目を閉じて、身を投げる妄想を何度もして頭の中で自分を殺した。

今振り返ってみて恐ろしいと感じるのは、それが側に誰もいない時に行動に移しているところだと思う。

希死念慮との戦いで1番大きかったのは、真夜中にマンションの4階から飛び降りようとして警察に通報・保護された時だろうか。この時は彼が側にいた。今年の3月の話である。


それ以降、行動に移すような大きな希死念慮との戦いは起きていない。小さな合戦は毎日のように起きているが。

希死念慮との付き合い方がうまくなったのか、病気か快方に向かっているのか、薬が合っているのか、はたまた全部が理由なのかは分からない。



特にこの文章のオチを考えずに書き始めてしまったのだけれど、オチをつけるとしたら、「希死念慮って想像以上にしんどいです。」だろうか。


同じように悩む人が自死を選んだとしても、きっと私は止められない。悲しい、けれど、やっと楽になれましたね、くらい思うかもしれない。


それくらい希死念慮は厄介なのだ。


つらいアピールをする記事になってしまった。オチは考えてから書くものだと反省する。後日消すかもしれないし加筆修正するかもしれない。


とにかく今日も生きぬいたぞと胸を撫で下ろす人たちに、私も多少つらいですが今日も生きぬきましょうねと、伝えられればいいなと思う。